ローマ人の物語 (2) ハンニバル戦記

共和制ローマが、カルタゴをポエニ戦争で倒し、地中海を制するまでが書かれている。
高校の世界史で、共和制ローマ、カルタゴ、ポエニ戦争、ハンニバルと、丸覚えしたことが、歴史物語としてつづられており、これなら背景も含めて、忘れないだろう。他の英語や、数学もそうだが、ゆっくり自分のペースで学ぶと、知る喜び、理解する喜びをひしひしと感じることができる。学生の時、先生からよく「学べることは幸せなんだ!」と良く言われたが、幸せを判断する自分自身のペースで学べないから幸せを感じられるわかがない。頭の回転が速く、授業についていける人は、幸せを感じられただろうが。老後にやることが無い、という人が多いが、何か学べば、いくらでもやることがある。ということで自分はあまり老後を心配していない。お金も市営住宅とかに入って生活レベルを下げれば十分足りる。話だ脱線しすぎた。物語は、ハンニバル戦記という副題の通り、ハンニバルを中心に進んでいく。後半はハンニバルを破ったスキピオが中心となる。その過程で、ローマの執政官や、市民集会、元老院の動きが詳細に描かれている。執政官が、カエサルに連敗し、危機的状況の中で混乱を極める市民集会や元老院。短期決戦派と、長期戦派のどちらを選択すべきか、負け戦から学びながら判断してく。短期決戦で会戦を挑んで大失敗し、会戦を避けた長期戦に切り替え、カエサルの軍を弱体化していった。同時に外交でも攻勢に出る。しかし、スペイン戦線が危機に陥る。若くて執政官になる権利がないスキピオが強引に執政官となり危機を挽回していく。スキピオが軍を指揮できるよう工夫する元老院の現実的で柔軟な対応も面白い。この辺の流れは、太平洋戦争の日本の対応と対比して書かれているように感じた。厭戦(えんせん)気分を意識して、ミッドウェーの敗戦から情報をひた隠しにした大本営だが、もし、統帥権の問題がなく、しっかりシビリアンコントロールができていたら、中国からの撤退など外交もにらんだ長期戦への転換などもできたかもしれない。ローマのように、大東亜共栄圏も日本と同等にあつかっていたら、もっと日本に協力してくれて、長期戦が可能だったかもしれない。1巻につづきいろいろ考えさせられました。3巻目も楽しみ。

以下、メモ。要所要所に出てくる格言が、その歴史的事象から何を学ぶべきか示してくれる。

・責任の追及とは、客観的で誰をも納得させうる基準を、なかなかもてないもの。それで、ローマ人は、敗北の責任は誰に対しても問わないと決めた。

・天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に気づく人のことである。

・カルタゴの戦術は、強力でスピードのある両翼の騎兵による包囲殲滅。スキピオはそれを上回る速攻で騎兵を無力化。敵の主戦力の非戦力化という、戦術の最重要事項をあざやかに行った。→中東戦争時のエジプト、シリア連合軍の地対空ミサイルによるイスラエル空軍の無力化。

・年齢が頑固にするのではない。成功が頑固にする。成功体験が他の道を選ぶのを邪魔する。抜本的な改革は、優れた才能と、過去の成功に加担しなかったものよってしか成されない。だから若い世代が改革の中心になる。過去の成功に加担していないから。

・パトローネスは、覇権国家となったローマだ。クリエンテスは、ローマの覇権を認め、その下での独立と自治を享受する同盟国である。ローマの責務は、クリエンテスたちを守ることにある。→日米同盟を想起させる。

・優れた業績をなしとげた人は嫉妬される。嫉妬はすぐには表面化せず、相手が弱点を見せるまで待つ。スキャンダルは強者を襲わない。

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