人間の煩悩

九十歳。何がめでたいの作者、佐藤愛子さんが作家友達との関わりからつづった人生訓が、複数のエッセイのかたちでまとめられている。心に残る言葉がたくさんありました。
作家に変な人が多いという話が良く出てきて、その内容につい笑ってしまった。
しかし、「変な人」が作家になるのも当然だと思った。
「変な人」=他の人にあわせず自分で考えて行動している人、だから。
自分で考えないと小説なんてかけないし。
自分で考えることをやめてマスコミや他の人を言うことに合わせているのが「普通の人」だと思う。

以下、読書メモ。

よしよし順調に行こうと思うその努力しているというわけではないのに自然に順調によくお別れて言ってることに満足する

歳をとって欲望が枯れていくということは楽になるということ。
一緒に恨みつらみも心配も見栄も負けん気ももろもろの情熱が枯れていく。

努力しても達成できない、自分にその要素のないものに向かって努力するのは無駄なあがきというもの。

自然の力を想定して制するよりも自分達の限界を想定するべきだった。人間は人間の分際をわきまえるべきであった。今回の災害で私が学んだのはそのことである。
→科学を過信して予想できないことは無いと思い込んでいる。
昔の人は想定できないことが当然だった。昔の方が想定外に対する備えがあった。

協調性を持てない私は自分の自我の強さを、元気よく生きるという方向に持って行った。妥協しない、言いたいことを言わずにいられないというわがままを、正直という美徳の方へ引っ張った。

人は人を救うなんてそんなことは夢。
人間は自分の力で自分を救うしかない。

人間も死んだらゴミだ。

金を手にすることの面白さは努力することによって手に入ることにあるのだと私は思っている。

子供が欲しいと言っても簡単に与えず我慢させる。我慢の力があるかないかでその子の人生が決まる。