四境戦争の小倉口の戦いでの幕府軍の宿陣場所

小倉口の戦い(小倉戦争)は小倉城落城後も激戦が続いた。歴史書を参考にしながら戦場を探索しながら経過を追ってみたい。まずは幕府の宿陣場所をまとめてみました。

幕府軍の宿陣場所
・総督
小笠原 長行(おがさわら ながみち)。江戸時代後期の肥前国唐津藩の世嗣。6月3日に中津藩沓尾港に到着。馬借の開善寺(本屋クエスト裏)本営。兵士は鳥町、仲町の民家に宿営。
幕府大目付、塚原佐渡守、田町の明善寺。

・小倉藩
小笠原家の藩祖小笠原 忠真(おがさわら ただざね)は徳川家康の外曾孫に当たり徳川家と強い関係。譜代大名で九州探題、毛利家の目附役。

・小倉支藩 小倉新田藩
小笠原近江守貞正、長浜の千畳敷。

・播州宍粟郡安志(あじ)一万石 小笠原貞孚(おがさわら さだざね)幸松丸様
小倉藩当主の子であったため、小倉藩下屋敷。

・柳川藩
鋳物師付近に在陣。本陣は長圓寺

・久留米 有馬藩
鋳物師から中原(なかばる)付近に宿陣。

・豊後国府内藩 松平 近説(まつだいら ちかよし)
古船場の大隆寺(大正時代に大正寺として移転)を本陣。京町の徳蓮寺、馬借の広隆寺に藩兵宿陣。

・中津藩奥平家
小倉城下

・熊本藩 細川家
長岡監物、溝口耕雲が指揮。小倉藩の菩提寺広壽山(福聚寺)を本陣とし、足立村、蒲生村一帯に兵士屯営。

・黒田藩
遠賀群木屋瀬で様子見。

・薩摩藩は幕府からの出兵命令書受け取らず。勝安房守が間に入って命令書は勝預かりに(うやむやに)。