応仁の乱 呉座勇一 中公新書

歴史も文章も複雑で苦労して読了。

・終章の「応仁の乱が残したもの」に集約されている。それまでの章は、複雑な人間関係、利害関係に基づく、応仁の乱前後の歴史が詳述されており、応仁の乱の理解が難しいことを物語っている。奈良、京都を散策しながら読むと楽しめそう。

>興福寺写真
>興福寺は法相宗の本山であり、法相宗は、この世の全てに実体がない(色即是空)、ただ人間の識があるのみと考える唯識を教義とする。
>唯識は唐の玄奘三蔵がインドから唐へ伝え、それが遣唐使経由で日本に伝わった。

・室町時代、大和(現在の奈良)は興福寺が守護していた。だから、今も壮大な寺院が残っている。
・興福寺内の権力争いと、河内の菅領家の大畠氏の権力争いが、幕府内の権力争いに発展し、応仁の乱が勃発。
・将軍のリーダーシップが低下し、守護大名(菅領家)がリーダーシップをとる形になった。その後、守護大名の派閥争いが激しくなり、応仁の乱につながった。
・幕府権力の低下により、幕府の命令が守られず、領地で下剋上発生。京都にいた守護大名は、領地に帰り、自分の力で領地を守ることになった。自分の力次第の戦国時代へ突入。

・中央集権化と地方分権化のサイクルの1つ。戦国時代を経て、信長、秀吉、家康の3人により再度、中央集権化が進められる。
・経済の拡大と縮小、国家間の緊張と友好、会社内の拡大路線と緊縮路線、夫婦間の緊張と緩和などサイクルは至る所にある。一方の側の行き過ぎが、もう一方の側への大きな流れとなる。その転換点で、潮目に逆らうと、応仁の乱や、リーマンショックのような極端な揺り戻しが起きる。
・目標を持ち、自分の考えや価値基準に基づいて、目標実現のための努力を細く長く続ける。目標の実現のためには、努力を継続する中で、潮目を悟って早目に波に乗る勇気と、同様に波から降りる勇気が必要。